
先日、泉岳寺駅で撮影した北総9000形。
この車両は、1984年に、北総線小室‐千葉ニュータウン中央間を住宅都市整備公団の路線として延伸開業させた際に2編成登場した。
当時の形式名は2000形。車体は兄弟車種でもある今は亡き北総7000形ベースだが、こちらはすっきりとした流線形で、窓枠の形も広く取られ、よく見ると後から誕生した新京成8900形の窓枠にそっくりだ。
デビュー当初は6両編成で、当時行われていた新京成との相互直通運転でも大活躍しており、新京成線内で北総7000形とのツーショットもみることができた。
当時私は物心ついて間もない頃だったので、北総車両の新京成乗り入れ時代を鮮明に覚えている。
しかし、1991年に北総線が京成高砂まで延伸し、京成線・都営浅草線・京急線との4者相互直通運転が開始されるのに先立ち前年の1990年に北総7000形と共に8連化され、それ以降は北総車両の新京成乗り入れ回数もめっきり減ってしまった。
やがて1992年に新京成・北総線に連絡駅である新鎌ヶ谷駅が開業すると、長年続いた新京成・北総公団線の相互直通運転にピリオドが打たれた。
1993年に形式名が9000形に改番されたが、これは、乗り入れ先の京急2000形との重複をされるためと言われている。
(参考までに、形式番号頭文字の1・2・6は京急、3は京成、5は都営、7は北総、8は新京成なので、その穴を埋める形で選んだと考えられる。)
2000年に住宅都市整備公団が都市基盤整備公団に改名すると、伝統の住宅都市整備公団マークの青プレートが外され、後に出た9100形と共に都市公団のステッカーに張り替えられる。
その後2004年に都市基盤整備公団が都市機構に改まると公団は鉄道路線を手放し、変わって小室‐印旛日本医大間の公団線は、全て千葉ニュータウン鉄道として北総が買い取るようになると、今度は現在のようにこの車両や9100形も北総の所有になり、その都市公団のステッカーも剥され、変わって京成グループのCIステッカーと北総鉄道のプレートが貼られるようになり今のような形になる。(同時に、北総開発鉄道も現在の北総鉄道に改名される。)
兄貴分に当たる北総7000形が引退した今でも、この車両はまだ活躍し続ける。